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北村匠海 妻夫木聡と朝ドラで17年ぶり共演「運命」 当時小4「今も生きる糧」教え子から戦友へ

俳優の北村匠海(27)がNHK連続テレビ小説「あんぱん」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)漫画家・やなせたかしさんをモデルとした柳井嵩を好演している。14日放送の第76回で戦時中“戦友”だった八木信之介(妻夫木聡)と再会を果たした。実は妻夫木とは2008年公開の映画「ブタがいた教室」以来、17年ぶりの共演。久々の共演を、北村はどう感じているのか。スポニチアネックスの取材に応じ、撮影秘話を明かした。(那須 日向子)

嵩にとっての八木は「戦争パートにおけるのぶ(今田美桜)だった」と話した北村。アンパンマン生みの親・やなせさんと妻・暢さんをモデルとした物語で第11週から2週にわたって描かれた飢餓や家族の死…戦争のリアルな表現は話題を呼んだ。  

第50回(6月6日)、1942年(昭和17年)夏、嵩は小倉連隊に配属され、上等兵・八木と出会う。「弱い者から死んでいく」厳しい言葉をかけられながらも折に触れ助け舟を出してくれた。「八木さんがいなかったら嵩は死んでいた」。まさに厳しい軍隊の中で光を照らしてくれる存在だった。  

17年前の共演作「ブタがいた教室」は、小学校の教室で飼育することになった子ブタを通して命の尊さや食のあり方について子どもたちが向き合う物語。妻夫木は担任の星先生、北村はその生徒の拓実を演じた。「僕は当時小学4年生。僕ら生徒は一切台本が与えられてなくて、アドリブ。命について真剣に考えて人生の中でも忘れられない作品でした」  

そして「先生と生徒」から「戦友」の関係に。「『あんぱん』で再会することに運命を感じましたし、しかも戦争パートで妻夫木さんが横にいてくれたのはありがたかった」  

久々の“再会”だが、戦争パート撮影時はあえて「ほぼしゃべっていなかった」という。「戦争というものがそうさせた。当時は全く『あんぱん』の空気ではなかったです。みんなご飯も食べてないですし、僕も食事制限しました。そんな中撮影していました」と極限状態での撮影を振り返る。しかし一転、戦後パートに入ると「もう、たくさん話しています。ほっとしますね」と目を細めた。  

17年の時を経て印象が少し変化。「大人になってから妻夫木さんに接してみると、凄く楽しそうに生きてらっしゃるなと思いましたね(笑い)。お酒を一緒に飲んでいても本当にチャーミングな人です。『ブタがいた…』当時は先生役と生徒役だったのでよく怒られていましたが役柄を超えて話してくれたこともたくさんあって、それが今でも自分の生きる糧になっています」  

戦後のシーンでは八木が目をかける戦争孤児・アキラ(番家玖太)が登場。第76回では、のぶのカメラをひったくり、八木に叱られていた少年だ。くしくも「ブタがいた教室」出演当時の北村と同い年。「自分もそうだったのですが、8、9歳なりにアキラも芝居のメソッドがだんだんできてくる。そこで妻夫木さんが“芝居とは”を教えてらっしゃった。僕は『ブタが…』の当時を思い出しました。当時の妻夫木さんは僕とほぼ同い年。“こういう感情になるんだな”と分かりました。“もっとアキラに輝いてほしい”という気持ちが僕にも妻夫木さんにもあります」。27歳になったからこそ当時の妻夫木が叱ってくれた意味を身に染みて感じる。  

教え子から戦友へ―――。成長を遂げた北村と円熟味を増した妻夫木が織りなす戦後の物語に注目だ。

スポニチアネックスより転用

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