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鳥山明さん、紙とデジタルの楽しさを底上げ…「ジャンプ」けん引し「ドラクエ」で卓抜なデザイン

鳥山明さんが「週刊少年ジャンプ」のレギュラーとして活躍したのは約15年間。「Dr.スランプ」の開始が1980年、「ドラゴンボール」の完結が95年だ。この15年間は漫画だけでなく、日本のエンタメ産業の変革期ともぴったり重なる。

 80年代初めの「少年ジャンプ」で、牧歌的な鳥山タッチは異質だった。絵もギャグもバタ臭くアメコミ的。しかしデザイナーを志していただけあって、明快な線のキャラクターや背景の空間描写のうまさは群を抜いていた。むしろ玄人受けする画風だったと言える。

 「ドラゴンボール」は、最初あまり人気がなかったという。編集者のアドバイスを入れて格闘バトルものに路線変更し、線も丸っこいものから荒々しく変えたら爆発的にヒットした。94年末に653万部を記録した「ジャンプ」が、翌年から部数減に転じた一因は、同作の完結だと言われる。鳥山さんは紙の漫画の黄金期の中心を支えていた。

一方、鳥山タッチはデジタルの世界も変革した。86年からシリーズが続く「ドラゴンクエスト」が国民的ゲームになったのは、グラフィックに粗い画像しか使えなかったテレビゲーム初期に、個性的なモンスター群を生き生きと表現した卓抜なデザインセンスに負うところが大きい。

 つまり、紙とデジタル双方の楽しさを底上げし、両メディアの橋渡し役を果たしたのが鳥山さんだった。

 盟友の元編集者、鳥嶋和彦さんとの昨年の対談で、2大ヒット作は、実は全然自分の好みではなかったと明かし、「本当に自分の好きなように描いたら、絶対受けない」と語ったのが印象的だった。2000年の「SAND LAND」のような小品こそが本領だったのかもしれない。

 1990年の画集では「『画期的』という言葉が好きなんです」とも語った。まさに時代に求められ、時代を「画期」した才能だった。(文化部 石田汗太)

読売新聞より転用

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