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閉店後も20年家賃払い続け… サイゼリヤ1号店を守り続ける地元の人たちの思い

国内外1500を超える店舗数を誇り、昨年は“1円値上げ”等で話題を呼んだサイゼリヤ。始まりは、1968年に千葉県の八幡で開いた小さな洋食店だった。1度は客の喧嘩が原因で火事が起こり全焼したものの、休業後、イタリア料理専門店として再開。現在のサイゼリヤの原点である。その後2000年に当1号店は閉店したが、地元の人たちが保存会を結成し、20年以上経った今も記念館として残されている。サイゼリヤ創設者の正垣泰彦氏は1号店保存に反対したというが、地元の人たちが長年守り続ける1号店への思いとは。

■サイゼ創設者の正垣氏は「創業当時から経営理念やその他の考え方が全くぶれていない」

――改めて、サイゼリヤ1号店を保存しようと思われた理由を教えてください。

【サイゼリヤ1号店教育記念館保存会・大山達雄氏/以下同】1987年頃、当時サイゼリヤの社長だった正垣泰彦氏は経営の勉強のため、千葉県中小企業家同友会の市川浦安支部に入会しました。しかし、正垣氏と他の会員との間で経営に対する考え方がまるで違いぶつかる事が多かったんです。そのうちに正垣氏のいう事が客観的に正しいと感じた市川浦安支部のメンバーたちは、正垣氏が支部長となりその理論を教えてほしいと言う事になりました。

そして支部長になった正垣氏が、経営理論を毎月例会と早朝セミナーで教えるようになると、その内容や理念の素晴らしさとわかりやすさから、会員数が7~8倍になったんです。理論通りの経営で計画通りに店数を増やしていくサイゼリヤの発展を目の当たりにして、皆わが社もと夢中になりました。

正垣氏は「成長発展する会社はその姿をどんどん変えていくから、1号店などいつの間にか消えていくもので残すものではない」と言っていたのですが、1号店最後の日にお店に集まった正垣氏の生徒である各社の社長たちが、「最後の晩餐で何とか残せないものだろうか」と言う事になり、宇田川正和現館長を代表として皆でお金を出し合って保存会が出来て、社長たちが真剣に学ぶ場としてサイゼリヤ記念館としました。

――地元の皆さんにとって、営業時の1号店はどのような場所でしたか。 安くて美味しくイタ飯を食べられるお店として大人気で、2階に上がる階段はもちろん外まで列がいつもできていました。我々は勉強会の後、ワインのフルコースを楽しみながら、復習やメモしきれなかったところの補完などを行い、出てくる料理の安さとワインの調和を元にわが社の商品の見直し、作業システムの見直しなどを学んだんです。怠けている所をお互いに指摘し、叱りあった場でもあります。

――1号店を保存することを提案した際、正垣氏の反応はいかがでしたか。 そんなのやめろとおっしゃいましたが、強い反対はされませんでした。今もやめろとおっしゃいますが(笑)、趣旨をご理解いただきご協力も頂いています。 ――1号店閉店後も全国的な人気をますます広げていったサイゼリヤに対して、どのような思いがありますか。 正垣氏と34年前に初めてお会いした時から、彼の経営理念やその他の考え方が一切変わっておらず、全くぶれていないんです。それでいて、システムや手法はどんどん発展進化していて。私たちは30年以上前にサイゼリヤがやっていた事を、今必死にやっている感じですね。

■「教育は最高の福利厚生」正垣氏のポリシーが地元の経営者たちに伝染した1号店

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